日本の学校教育における国語の授業では、情報を正確に伝えるという言葉の重要な側面が少なからず捨象されている。ソフトウェアの企画書を例題として、どの部分の情報がまだ不足しているか、どこに矛盾があるかといった問題がセンター試験の国語で出るようになるのはだいぶ先の話か、あり得ない話だろう。振り返ってみるに、何かを正確に書くという訓練は、高校までは数学の証明問題でしか行われていない。だから、大学や社会に入ってから、「何でこんな分からん文章を書くのや!」と怒られてハッと気付く。もっとも、怒っている方も、それ以前の同じようなタイミングで気付かされていたのだ。なので、日本社会全体が情報伝達手段、あるいは情報構造構築手段としての言葉を使う能力に関しては奥手なのである。そんなの、誰かが指摘すればすぐ改善できるだろうと思われるかもしれないが、日本の教育システムにはトヨタのような戦略的なカイゼンはないのである。